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2007/09/07 (金) 中国旅行雑記 2007/09/10 (月) ロンポス 2007/09/13 (木) 爪楊枝点描画 2007/09/14 (金) フットサル 2007/09/18 (火) 膝痛 2007/09/19 (水) ○○の不養生 2007/09/24 (月) 日傘との闘い |
2007/09/07 (金) 中国旅行雑記
今日は北京を訪れての感想を書こうと思う。 日本の高度成長期はこんな感じだったのだろうな、というのが全体的な印象だ。高度成長期というのは昭和30年代から40年代にかけての時代だから、私はまだモノゴコロがついていない(今はモノゴコロがついたのか、と言われれば自信がないから、今が高度成長期なのかもしれない)。うろ覚えながらその当時の日本を思い起こせば、今の北京の状況がある程度イメージできるのではないか、と思う。 まず北京ではスモッグがすごい。工場から出る煙か、黄砂か、とにかくスッキリと晴れ渡るということがない。それから来年に控えた北京オリンピックへの準備もあるのだろうと思うが、古い建物が壊され新しいビルが建設されている状況が随所に見られた。我が国を振り返ってみると、四日市ぜんそくや水俣病などに見られる公害病は、高度成長期の負の一面である。また、昭和39年に開催された東京オリンピックに向けて、開催地の周辺では大規模な新陳代謝が行われたのではなかったか。北京を観光しながら、「東京五輪の前年の東京はこんな感じだったのかもしれないな」と思った。大量生産・大量消費が良しとされていた時代である。思えば当時の日本製品には「オリジナリティが欠けたサルマネ商品」というような評価がなされていたように思うが、その点においても現在の中国製品バッシングと重なる部分がある。 確かにその時代があったからこそ今の日本があるのだろうけれども、その時代の負の遺産を現在まで引きずっている部分はないのだろうか。日本のような資源のない小国がその時代の人々の努力によって大変な繁栄を勝ち得た、その点には感謝と敬意の念を禁じえない。だが、もしも中国が、膨大な資源と国土と人口を有する中国が、当時の日本と同じ振る舞いをした時にどうなってしまうのか。日本の失敗の部分(特に環境汚染)を踏まえての中国への技術協力を期待したい。私には何もできない。 しかし今思えば、ガイドをしてくれた馬さんや運転手の趙さんをはじめとした中国の方々の、何か自信にあふれた表情とか口調(何を言ってるかは分からないが)だとかは一見の価値があった。趙さんの運転には上り調子の中国経済を象徴するような勢いを感じたし、胡同で自転車をこいでくれた若者にもその仕事に対する誇りのようなものを感じた。街中では人々の歩く速さ、颯爽とした姿勢など、随所に活気が感じられた。今の日本にこの中国のような活気を、というのは、私に「青年時代に若返れ」というのと同じような無理がある。 大事なのは若者と中年と老人と子どもが幸せに共存できる世界である。中国には若者のような勢いと元気がある。ということは日本は中年だろうか。私も中年だからよく気持ちが分かるのだが、中年は、特に中年男性は「働き盛りだから」と言われてこき使われ、上からも下からもプレッシャーをかけられる中間管理職的な可哀そうな存在なのだ。ではどうすればナイスミドルとか呼ばれる数少ない素敵なおじさまになることができるのか?私が聞きたいところだ。 2007/09/10 (月) ロンポス いつも楽しみに拝見しているMISDIRECTIONさんが、このページを紹介してくれました。ありがとうございます。このロンポスというパズル、最初は「ペントミノみたいに四角形でいいやん。なんで球をくっつけてんの?」と思いました。実際、平面上に埋め込むだけならテトリスみたいな四角形を組み合わせた形で十分だし、その方が隙間なく埋められてスッキリするのですが、このロンポスの醍醐味は「ピラミッド型」の立体に組むことができるというところなのです。
このように組むためには四角形や立方体ではダメだから、球をくっつけることによって平面でも立体でも面白いパズルになるというところが絶妙のアイデアだと思います。さすがにピラミッド型に組むPCゲームを作るのは非常に困難だと思いますし、もし作れたとしてもマウスやキーボードで遊ぶとイライラしてしまって楽しくないでしょうね。手で自由自在に回転して試行錯誤しても非常に難しいですから。実物パズルならではの面白さだと思います。 2007/09/13 (木) 爪楊枝点描画 このページを公開してから、爪楊枝点描画の作り方についての問い合わせメールが届くようになった。要は爪楊枝に色を付けて発泡スチロールに刺せばよいのだが、どこに何色を刺せばよいか、というのが最大の壁だと思う。それで「画像行列」という濁点の多い汚い名前の自作ソフトに関心を寄せていただいているようなのだ。ところがこのソフト、VBのランタイムが必要だは、使い勝手が悪いは、ヘルプ機能がないは、他人様が使うと色々と問題が多すぎて、お渡しできないのだ。もちろん私が使う分には何ら問題はない。だから、モザイク画の設計図で困っている方には、画像を送ってもらって設計図にして返すなどしてサポートしている(もちろん無償)。
左が長野県の高校生が「完成しました!」と送ってくれた画像だ。何でも賞をもらったということで、大喜びのメールだった。右はどこの高校かはわからないのだが、非常に熱心に取り組んだ様子がメールからも伝わってきた。私はそんな大したことはしてないのだが、「おかげさまで完成しました!」というようなメールをいただくと、こちらまで嬉しくなっちゃって、いいことしたなぁ、という感じである。一昔前ならこのような広がりは考えられなかったのだが、インターネットやメールの恩恵ですなぁ。ありがたや、ありがたや。 2007/09/14 (金) フットサル 昨日、夜8時から10時までフットサルをした。ご存知の方も多いと思うが、フットサルというのは5人チームで行なうサッカーのミニゲームみたいなもので、もともとは室内で行なっていたのではないかと思う。ロナウジーニョなどブラジルのサッカー選手は個人技をフットサルで鍛えたという話も聞いたことがある。大学で同じ学科の院生が誘ってくれたので、「5分間しか走れませんぜ」と見栄を張って(本当は3分間)、のこのこ参加させてもらった。夜中に若者とサッカーとは、まさに大学時代に若返った気分である。私はこう見えても(インターネットなので見えないとは思うが)、大学時代は体育会のサッカー部に所属していたので、当時は夜8時過ぎまで薄暗い照明の中ボールを追いかけていたのだ。さあ、気分は大学生で会場に行ったらば、何とビックリ!立派な人工芝で、照明もバッチリのグラウンドだ。やわらかい人工芝のグラウンドだったので、私がもし小学生だったらわざとスライディングしたりオーバーヘッドキックの練習なんかしてはしゃいでいるところだったが、気分は大学生だったため「私も二十歳を超えた大人なのだから」と自分に言い聞かせて自嘲した。いや、自重した。3チームで交互に試合をして、会場を予約した2時間を存分に満喫した。思うように動かない自分の体のせいで42歳の現実に何度となく引き戻されたのだが、本当に楽しい2時間だった。こんなおっさんを誘ってくれた院生たちには心から感謝したい。明後日あたりに筋肉痛が襲ってくるまでは感謝の気持ちが維持できると思う。 2007/09/18 (火) 膝痛 昨日、子どもたちと広場でサッカーをして遊んでいたときに膝を痛めた。ボールを追いかけて駆け足程度の速度で走っていたら、突然左膝に激痛が走ったのだ。ひねったわけでも、無理な体勢で踏ん張ったわけでもないし、どうしてそうなったのかわからない。屈伸しても大丈夫なのだが、歩くときに左足に体重をかけるとひどく痛いときがある。このままでは大事な五輪予選に出場できないかもしれない。ああ、でもよく考えるとサッカーの五輪予選は22歳以下なので、その時点で惜しくも私は対象外だということに気づいた。五輪本番ではオーバーエイジ枠というのがあるので、今は無理をせず北京五輪本番に間に合うように調整したいと思う。 2007/09/19 (水) ○○の不養生 私の所属する高校のサッカー部出身者で、今お世話になっている大学に通っている者が4名いる。4年生2人、3年生1人、2年生1人で全員工学部だ。で、このほど4年生のうちの1人の就職が内定したというので、その就職祝い(つまりは飲み会)をすることになった。後輩にとっても同じ工学部の先輩がどうやって就職内定を勝ち取ったかというのを聞くことは、必ず自分のためになるはずだ。私が発起人で、その4人と今晩祝杯をあげる。とても楽しみだ。 話は変わるが、一晩経っても膝が痛い。この状況に至った経緯が、ただ単に走っていたら痛くなった、、、ということなので、捻挫や打撲ではないことは明らかだ。ひねったり踏んばったりして痛くなったのならよくあることなので対処のしようもあるのだが、「駆け足してたら痛くなった」というのはあまり聞いたことがないので却って不気味だ。それで昨日病院へ行って左膝を診てもらった。医者によると「潤滑油の働きをするヒアルロン酸が不足しているせいでしょう。注射して補っておきますので、しばらく様子を見てください。」とのこと。どうやらヒアルロン酸とやらを直接膝に注入するようだ。私は注射が苦手だし、膝に注射されるなんて初めてだったので少しビビったのだが、北京五輪のために男らしく我慢することにした。その後、やや回復したように思ったのだが、夕方からの中学生のサッカーの指導ではやはり歩くのも痛くて、まだまだ完全復活は先のような気がする。 ここまで読んだ方は、そんな体でノコノコ飲み会などに行ってる場合じゃないと思われるかもしれない。だがよく考えてほしい。「医者の不養生」という言葉があるが、これは医者のように養生を患者に説く立場の者自身が不養生であることに対する皮肉と非難と警告の意味が含まれているように思う。私は医者ではないので、この言葉による非難や警告の適用外だ。だから、今日は予定通りに飲み会に参加することにしよう。 2007/09/24 (月) 日傘との闘い 私は幼いころから周囲の友達よりも背が高い方だった。もう少しポイントを絞ると座高が高かった。幼稚園や小学校では背の低い順に前から並ばされていたので必然的に私は後ろの方だった。これはどうしてか?別に背の高い方が前でもいいじゃないか、と思ったこともあったが、そうすると後ろの背の低い人の視界を遮ってしまうのでよろしくない、ということにすぐに気づいた。だから自分は後ろの方でいいやと思っていたし、いつしかその方が居心地がいいように思えてきた。 昨日、長男の運動会があったので、ビデオカメラを片手に見に行った。町内唯一の田舎の中学校なので、運動会は春の花見、夏の盆踊りに次ぐ大イベントである。各家庭からじいちゃん、ばあちゃんまで動員して、朝早くからお弁当をこしらえて、ござを持ってお出かけである。こういう時に私の役割はビデオ撮影であることは暗黙の了解だ。さあ、そこで前段で書いた私の習性というか本能というか、そういうものが邪魔になってくるわけだ。ビデオをしっかりと撮るためには位置取りは基本中の基本だ。後ろの人の邪魔となろうがなんだろうが、一番前のかぶりつきで三脚を一番高くして構える、、、というのが本当はいいのかもしれない。ところがである。前段で書いたとおり、私ときたら幼い時から高い座高のせいで後ろの人に気を使ってしまう性格へとすくすくと育ってしまったわけである。そんな私が人々の一番前でカメラを構えられるわけがない。 幸い私は身長が高い方なので、「一番後ろで、ちょっと段の高いところから撮ればいいか」と思って、人垣の一番後ろに後退するのである。で、多くの場合はそれでうまく撮れるのだが、ファインダーを覗いていて、もう本当にイライラしてしまうことがある。それが日傘なのだ。ファインダー越しに我が子を追いかけていると、ヒョイとカメラの前に邪魔する物体が・・・、と思った時は9割方が日傘である。そんなとき私は、「お、おみゃ、誰の前で日傘さしとんね。わしかて日向で暑いんやで。そいからその場所、元々わしが居った場所やないけ。座高が高いけ、泣く泣く後ろに下がったお陰で、その場所もろとるんやで。恩を仇で返す気いか?」と、強い口調でとくとくと心の中でつぶやき、私の内部でストレスを発散する訓練をしている。 日傘との闘いは中国への旅行でも繰り広げられた。何しろ暑い時期の中国旅行だったため日傘のご婦人は多いし、観光地は人がいっぱいで、もう何度日傘の先っぽで目を突かれそうになったか知れない。そのたびに日傘を手で振り払うのだが、でもそれくらいしか防衛方法を思いつかない。だから日傘との闘いは連戦連敗中だ。 ではそういう自覚を持ってもらうためには、具体的に何をすればよいだろうか?事態を良い方向へ導くために、私は「日傘撲滅キャンペーン」を私の内部で開催することにした。なんだかストレスがたまる一方のような気がする。 |