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2007/08/03 (金)  地球ゴマ
2007/08/07 (火)  中国へ
2007/08/22 (水)  中国旅行1
2007/08/23 (木)  中国旅行2
2007/08/24 (金)  中国旅行3
2007/08/25 (土)  中国旅行4
2007/08/27 (月)  中国旅行5
2007/08/28 (火)  日カメ戦にて
2007/08/03 (金)  地球ゴマ

ろくはロッパのの阿原先生からKNOPIXのDVDをいただきました。本当にありがとうございます。まだ「ちょっと見」しかできていないのですが、まさに数学ツール・幾何図形ツール満載で、ひと月やふた月では追いつかないくらいの内容です。あれこれ触ってみて、またここで報告したいと思います。

さて、今日は部屋を片づけているときに出てきたおもちゃを紹介します。

地球ゴマなのですが、普通の地球ゴマとは違ってレールの上を走ります。下の画像をクリックしてみてください。

コマの回転軸に連動して車輪が回るようになっていて、レールの上を走ります。上の馬の部分はブリキ製で、一輪車なのですが地球ゴマなのでとても安定しています。結構古い品物のようで、昭和30年代くらいのものではないかと思います。

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2007/08/07 (火)  中国へ

今日から10日まで中国へ行ってきます。中国地方ではなくて、北京です。うちの家族4人と、私と妻それぞれの両親の合わせて8人で行ってきます。完全に観光旅行です。妻に「北京って英語でBeijingと書くんだねぇ」と語りかけたら、「べいじんってアメリカ人のこと?」と返されました。平和な我が家です。

旅行前にお金を中国元にいくらか換金したのですが、1元16.6円ということだったので少し中途半端だなと思っていたのですが、6元100円と覚えておけばいいみたい。お金の計算は全部子どもにさせて、計算練習の旅ということにしよう。夏なので暑いのは覚悟の上なのですが、雨が降らなければいいなと思っています。今のところ台風は大丈夫みたいですね。

出かける前から変なのですが、ちょっと色々と考えてしまうのが「お土産」です。普通なら名産の食べ物とかが定番なのですが、このところ中国製品に対する不信感を煽る報道が相次いでいるので(段ボール入りの肉まんとか)、食べ物じゃない方がいいかも。「これは大丈夫なのか?」と思いながら食べても美味しくないでしょうし。逆に話のネタとして肉まんを買ってくるというのもいいかもしれませんが。何かここで紹介できるような面白そうなオモチャとかがあるといいんですけど、、、パックツアーなので無理かも知れません。

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2007/08/22 (水)  中国旅行1

8月に入って2週間ほどお休みをもらった。こんなまとまった休みを取ったのは学生時代以来だ。とはいえ今も学生なのだが、そうではなくて20年振りだということ。この2週間の間に、家族で北京に旅行に行き、お盆にはサッカーのOB戦と17年前の教え子の同窓会が開かれたり、長男のサッカーの合宿に同行したりと、充実した夏休みだった。今回は北京への旅行について書きたいと思う。

8月7日、私と妻それぞれの両親と私の家族(妻、長男、二男)の合計8人で北京へと旅立った。上は71歳、下は9歳という幅広い年齢層だ。3泊4日の旅だが、できるだけ無理をしないように3泊とも同じホテルに泊まり、手を広げすぎないようなコースを選択した。今日は午後3時の飛行機に乗っての移動だけの日なのだが、長男と二男は大きな飛行機に乗るのが初めての体験だったので(小型の遊覧飛行機には1度乗ったことがある)、2人にとってはそれが今日のメインイベントだ。妻と長男は少し耳が弱いので気圧の変化に耐えられるように耳栓をしたりしていた。二男は少し興奮気味で、ずっと窓の外を眺めていた。

北京国際空港に着くと、現地ガイドさんが待ってくれていた。馬(マ)さんという女性で日本語も北京語もペラペラだ。外にはバス運転手の趙さんが待ってくれていて、マイクロバスに乗ってホテルに直行した。なんでも、このツアーは私たち家族8人だけ、ということらしく大変ラッキーなツアーとなった。バスから見た北京市内は排気ガスだか何だか分らないのだが常に霞みがかっていて、50m先の建物でさえもフィルター越しに見ているような感じだった。下の写真は来年開催される北京オリンピックのメイン会場。「鳥の巣」と呼ばれているらしい。この距離でも少しガスっているのがわかるだろうか。

道路は片側4車線だか5車線だかのとても広い道路なのだが、それでも車がびっしりで大変な混みようだった。のだが、日本の渋滞のようにノロノロと進んでいくのではなく、車の量は多いのだがそれなりのスピードで全体が進んでいく感じだ。高速道路でもないのに信号は全くなくて、どうやって右折とか左折とかするのかと思っていたら、その渋滞の中のチョットの隙間に強引に割り込んでいくのである。こりゃ私には北京では運転などできぬわい、と思う。運転手の趙さんもプロの運転手としての意識が強いのだろうか。目的地まで少しでも早く客を連れていこうとする余り、ぐいぐいと隣車線に割り込んでいく。遅い車には容赦なくクラクションを連発する。数えたわけではないが、3日間でクラクションを100回以上鳴らしたように思う。もともとがそういうお国柄だとは思えないのだが、急速に発展しつつある状況の中で人々の気持ちも高揚感に溢れているのだろう。とにかく北京の活気を感じた初日であった。

ホテルに着いてからホテル内のレストランで食事をし、子どもたちはプールで遊び、ゆっくりとくつろいで明日の観光に備えた。このときはまだまだ幸せな気分に浸っていたのだった。

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2007/08/23 (木)  中国旅行2

2日目と3日目に観光をして、4日目は朝の便で帰る予定。2日目は午前中に万里の長城(八達嶺)、午後は明の十三陵(定陵)だ。そもそも中国旅行を企画したのは、だれかれとなく「万里の長城には行ってみたいよね」という話になったのがきっかけだから、私たちのモチベーションは高かった。北京に着いて最初の観光名所だし。

八達嶺には北京中心部から車で50分くらいだったか、やはり交通量は多いもののスムーズに到着した。いや、八達嶺の付近ではすごい車の量だったが大型観光バスではなかったのが幸いして、なんとか入り口付近で降車できた。しかしまあ、本当に暑い!北京中心部よりはスモッグは薄らいでいるものの、午前中にして非常に暑かった。いや、これは想定の範囲内だ。この時期は暑いに決まっている。だからみんなそれなりの覚悟ができていたはずだ。だが、この人の多さは想定以上だ。八達嶺は入口を境に右側を女坂、左側を男坂と言うらしいが、男坂も女坂も人、人、人。もっと「雄大な建造物」とか「悠久の歴史」とか、なにかそういう雰囲気を味わいたかったのだが、ちょっと違うなあという感じ。それでもバッチリ記念写真は撮って、私と義父と子どもたちは男坂へ、その他は女坂へと別れて登ることにした。

子どもたちは元気で、特に二男は身軽なのでヒョイヒョイと登って行った。長男は義父や私を気遣いながら、ゆっくりと歩いてくれた。男坂の方が急斜面だと聞いた時には迷ったのだが、こちらに来て正解だった。男坂の方は人が多いとは言え、立ち止まってひと休みしたり写真を撮ったりできたし、二男のように人を追い越したりもできるくらいの混み具合だった。ところが女坂の方を見てみるともう本当に渋滞で、立ち止まることも追い抜くこともできないくらいだった。だから、私たち男坂に登った組は集合時間の30分前には集合場所に来れたのだが、女坂の組はギリギリの時間までかかったようで、むしろ大変だったようである。

さあ、憧れの万里の長城の観光ができ、つぎの昼食場所へ移動しているときに事件は起こった。片側一車線ずつの道路を帰っていたのだが、本当の渋滞に巻き込まれた。ちっとも車が動かないのである。対向車線はガラガラである。こんなときにうっかり対向車線に入って追い越そうなどと考えると、そんな時に限って対向車がやってきてにっちもさっちもいかなくなる(のだが、それを試みようとする車が何台かあった)。そのうち少し動いて分かったのだが、私たちの車のちょっと前の観光バスと対向車が衝突したらしく、観光バスの入口ドアをバールのようなものでこじ開けようとする人だかりが見えた。ああ、こりゃ時間がかかりそうだ、と思ったら本当にその場で1時間くらい立ち往生。警察もいるのだが、せめて片側交互通行にでもすればよいものを、そんなことをする習慣がないのかなんなのか分からないが、渋滞を放置して事故の検分みたいなことばかりやっていた。観光バスはどうも日本人観光客らしく、この暑い中を蒸し風呂のバスの中に閉じ込められたような感じだ。私たちのガイドの馬さんが「何人か乗せられますが」と申し出たのだが、警察からの返答は「じゃ、バックしてくれ」と言うだけで何の手も打たず。この渋滞の中、どうやってバックしろと言うのか。話にならなかったので(会話は中国語だったため私たちには分からなかったのだが)、そのまま通り過ぎてしまった。あのときの日本人たちは大丈夫だっただろうか。

遅い昼御飯を食べて、明の十三陵を観光して(ここでもたくさん歩いたが、地下のため涼しかった)、中国雑技団を観て、北京ダックを食べて、もうクタクタだ。午後の観光の記述が少ないのは手抜きというより、あまり覚えていないためだ。事故があったが、まあ、楽しい一日だった。アクシデントはまだこの後に起こるのであった。

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2007/08/24 (金)  中国旅行3

写真は万里の長城。人の多さがわかっていただけるだろうか。

さて3日目午前中は天安門広場と故宮博物院。この前日(8月8日)が北京オリンピックのちょうど365日前ということらしく、カウントダウンの式典のような行事があったようだ。この天安門広場も故宮博物院も非常に広くて、やはり日本とは土地の使い方が違うなあというシンプルな感想だった。そんなことしか考えられないほど暑かったのだ。この旅行を通しての北京の印象は「広い、暑い、人が多い」というところだ。特にこの故宮では散々歩いていくつもの門をくぐって、「ああ、やっと外に出た」と思ったら次の場所に入っていたのだった。外に出たのか、中に入ったのかが分からないほど、私の判断力は鈍っていた。よく格闘系のゲームなどでは第1の門をくぐると敵が現れ、そいつを倒して次の門をくぐると第2の敵が現れ、・・・というようなものがあるらしいが(古いのか?)、そのイメージはこの中国から来ているのだろうと思う。ブルースリーの「ドラゴンへの道」でもこんな感じだったのを思い出す。

午後は人力3輪車に乗って胡同という街並みを巡った。この暑い中、私と長男を乗せて一生懸命自転車をこいでくれている中国人の若者に申し訳なくて、全くよい気分ではなかった。ツアーに組み込まれているから仕方ないのだが、子どもたちには「お前がこぎなさい」と言いたいところだった。その後北京動物園は「パンダに会える」というフレコミで、子どもたちが一番楽しみにしていた企画だったのだが、人が多いはパンダは暑さのためグッタリしてるは、時間的にもほんの少しだったはで、この旅行の中では最も期待外れだった。次の頤和園(いわえん)ではやはり「広い、暑い、人が多い」の原則が貫かれており、ゆっくりと情緒に浸るような場面は一瞬たりとも許されなかった。で、このあとガイドの馬さんがさらにどこぞかの入場券を買おうとしていたので、みんなの顔を見て判断して、慌てて「もう勘弁してください、参りました。」とは言わなかったがそんな気持ちで入場を取りやめてもらった。いや、本当はこんなつらい苦行のようなものではなく、結構楽しみながら歩いていたのだが、何となくここに書くとこうなってしまいました。これから北京に行こうかと思っている方、お気を悪くされないように。

その浮いた時間をショッピングにあててもらって、30分ほど自由に歩き回る時間をもらった。そのとき、第2の事件が起こった。店から出てきた現地の店員さんがいきなり倒れたらしいのだ。私はその瞬間を見ていないのだが、倒れている店員さんの苦悶の表情は見えた。馬さんが話しかけても反応が無かったそうだ。急いで救急車を呼んで、応急手当をして、病院へ運ばれて行った。今思えば熱中症かもしれない。あの店員さんはどうなっただろうか。

無事に3日目も終わり、あとは明日の朝8:30の便で帰国するだけだ。いやはや暑かったし疲れたけれども、それ以上に楽しかったし美味しかったし、大変良い旅行だった、、、となるはずだったのだが。。。事件はこのあと起こるのであった。

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2007/08/25 (土)  中国旅行4

とても美味しかった、いや楽しかった北京旅行も全ての観光を終え、あとは飛行機に乗って帰るだけとなった。いやー、楽しかったね、疲れたね、などとしゃべりながら楽しく帰国するはずだったのだが、ここで思いもかけないアクシデントが発生した。結論から言うと、8人揃って帰るはずだったものが4人、1人、3人に分かれてしまったのだ。しかも3人グループはもう一泊する羽目に、、、。どうしてそんなことになったのか。

朝の7時前、ガイドの馬さんと空港チェックインカウンターでお別れして、さあ、あとは8時30分発の飛行機に乗って帰るだけだと思っていた。ところが出国手続きのところで1人が引っかかってしまったのである。後でわかったことなのだが、航空券を夫婦で間違えて持っていたため「パスポート本人ではない」と言われたようなのだ。が、そのときは係の人が何を言っているのか分からないため、とにかくチェックインからやり直そうとなった。それにしても間違えて持っていたもう片方はそこを通ってしまったのだから、係員もイイカゲンなものだ。こちらも1人が通ってもう1人が通れなかったという時点で混乱してしまった。父と私の妻が2人でチェックインカウンターに向かった。時間に余裕があるし、まあ大丈夫だろうと思ってしばらく待っていたのだが、なかなか戻ってこない。業を煮やした母が、「ちょっと探してくる」と言って、3回ほどグルグルまわってみたのだがどこにもいない。搭乗時間ギリギリまで待ったのだが戻ってこなかったので、仕方なく義父と義母に子ども2人とともに先に搭乗してもらった。

この時点で8人グループは4人(義理の父母と子どもたち)と2人(父と妻)と2人(母と私)の3グループに分かれてしまっている。私も母と交代して探してみたのだが、やはり見当たらない。もう飛行機の出航時刻となってしまった頃に、ようやく父の姿を見つけた。何やらカウンターで次の飛行機の手配をしてもらったようだ。妻とは飛行機に間に合う時間を見計らって別れた、ということらしい。この時点で妻の行方も心配だったが、とりあえず無事に飛行機に間に合ったただろうと見込んで行動することにした。

カウンターでは乗り遅れた私の手続きもしてくれているようだったが、パスポートを預けて出国手続きの所から出てきたため、スムーズにいかない。次の飛行機は30分後に出航の便だったので、その手続きが終わっている父には「ハリアップ!」と言って急がせている。「私は?」と聞くと「トゥーレイト」と言われた。父を搭乗口まで見送って、残ったのは私と母だけだ。母に事情を話して、次の便の手続きをすることにした。

で、片言の英語と身振り手振りで「乗り遅れたので次の便をお願いしたい」と伝えると、何やら英語でしゃべっている。よくわからないが「イエス、イエス」とか答えている合間に「トゥモロモーニン、セイムフライト」とかいう言葉が聞こえてきた。ええ?まだ朝の9時やど。午前中は無くても午後に1便くらいあるじゃろ。と日本語で言っても理解してもらえない。母と一緒に「ノー、ノー、トゥデイ」と叫んだが、「ナッシン」と言われた。ああ、どないしよ。今晩一晩北京の浮浪者と仲良くなれったって、言葉は通じんしなあ。このまま北京現地人になって中国マフィアの餌食となってしまうのだろうか、などと考えているところに、なんと妻がぶらぶら歩いている。「おおお、なんでこんなところに。飛行機に乗ったんじゃなかったんか?」と聞くと、やはり乗り遅れたとのこと。広い北京空港でよくもまあバッタリ出会えたものだ。運命の赤い糸の存在をハッキリと確認した瞬間だった(要は、困った人たちは同じような所をぶらぶらしてしまうというだけのことなのだが)。妻もひとりで心細かったことだろう。ここで偶然でも出会えて本当によかった。

さて、3人(母と妻と私)でこれからどうしようか、と考える。まずはさっきまでガイドをしてくれていた馬さんに電話をしてみようということになった。携帯の番号を控えたメモはしっかりと持っていた。公衆電話に行くと、日本のものとは少し違うようだ。コインは1角という単位の貨幣を4枚持っているだけだが、そもそもコインを入れるところがない。薄っぺらい隙間があったので、紙幣を入れるのだなと思って試してみたが、サイズが違うようだ。隣の人を見てみるとカードを入れている。なるほど、と思ってクレジットカードを入れると何やら通話できそうな雰囲気だ。ところが、何度やっても通じない。携帯電話とは通話できない仕組みになっているのかもしれない。そこで今度は国際通話で旅行会社に連絡することにした。クレジットカード払いにすべきだったのだが、あんまり慌てていたものだからコレクトコールになってしまった。が、旅行会社の方が電話に出てくれたので、こちらの状況を説明すると、現地係員をすぐによこしてくれるとのこと。ああ、ありがたや。一時はどうなることかと思ったが、やっとひと安心できた。

現地係員の魏さんも日本語が達者だが、こちらの状況を説明しても複雑な状況だったためなかなか理解してもらえない。「どうしてカンコウしたんですか?」と聞いてくるが、観光するために旅行に来たんだから理由なんかない。妻が「間違えてコウカンしてしまったんです。」と説明して、私も魏さんも納得した。妻、おそるべし。魏さんに空港に近いホテルをとってもらい、午後はホテルでゆっくりすることにした。(つづく)

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2007/08/27 (月)  中国旅行5

さて、自分たちの身の置き場が確保されて一安心すると、今度は先に帰国したはずのメンバーが心配になってきた。4人組(義父、義母、長男、二男)は無事に帰れただろうか。搭乗時間に間に合う時間だったとは言え、ギリギリまで待っていたし。それよりも心配なのは一便遅れて帰国したはずの父だ。こちらも搭乗時間ギリギリのタイミングだったこともあるが、何より一人で帰国するというのは心細いだろうと思う。もし、何らかの事情で飛行機に乗れなかったとしたらどうするだろうか、お金は持っていただろうか、などなど、考え始めたら心配は募るばかりだ。それからもしも無事に帰国できたとして、その場合はこちらの3人(母、妻、私)のことを心配しているのではないか。4人組からしてみると、妻は父と一緒に行動していると思っているはずだし、父は妻が当初の予定通りの飛行機に乗ったと思っているはずだ。帰国した後連絡を取り合って、お互いに妻の不在を知ったときに、相当な心配をかけているのではないか。

そこで、ホテルから国際電話をしてみることにした。予定では最初の便は11時半に日本に到着予定なので、荷物を受取って、昼食を食べて、空港から自宅まで移動して、、、夕方5時には自宅に戻っているはずだ。で、その頃に電話してみたが誰も出ない。まだ帰りついていないのかもと思って、一時間後に電話をかけても誰も出ない。これはおかしい。空港から電車で鈍行で帰ったとしても余裕で着いている時間だ。疲れているだろうし子連れだしアクシデントもあったので、途中で寄り道をして帰るというのも考えにくい。こうなると何か事態を悪い方向へ悪い方向へと考えてしまう。連絡が取れないということが、これほど不安を募らせるものかと思い知らされた。あちら側も同じような状況かもしれない。とりあえず私の兄や妻の弟のところに電話をかけて、事情を説明し、こちらは無事だということを伝えた。

何か他に手立てはないかと考えると、旅行カバンの配送サービスを思い出した。旅行カバンを空港から自宅まで配達してくれるサービスを予約していたのだ。その会社に電話をすると、「荷物を2つ預かっていますが何か手違いでも?」という反応。ああ、とりあえず4人組は無事に日本には帰れたのだな、と確認して少し安心した。その後10分おき位に実家に電話をかけたがつながらない。よく見ると受話器のソケットが抜けていた、という安っぽいギャグを書くつもりはなかったのだが、実際にソケットの爪が折れていてスポスポ抜けてしまうような電話機だったから、つい書いてしまった。ついでに書くと、部屋にあった日本製の電気スタンドはコンセントをハの字型に捩って、中国のコンセントに無理やり差し込んでいた。3人で1万円くらいのホテルだから、まあ仕方がない。ようやく連絡が取れたのは夜の7時半。どうやら天候の事情で飛行機の出発が2時間も遅れたらしい。それならうまくすれば私たちも乗れたんじゃなかったか、と思うのは今だからそう思えるわけで、その2時間の間は私たちは広い北京空港をウロウロ彷徨っていたのだから仕方がない。一人で帰った父の飛行機は大連経由だったらしいが、やはり2時間以上待たされたそうだ。いやはや、みんな無事でよかったよかった。

魏さんのお陰で、航空券を買い直すこともなく搭乗便の変更ということで、お金を余分に支払うことなく帰国の途についた。非常に疲れた旅行だったが、思い返すとガイドさんについて歩いた3日間よりも、自分の頭で考えながら動いた北京空港での2時間の方が強烈な記憶として頭に残っている。最後の余分な1日の方がそれまでの3日間よりもたくさん中国の方と話をしたし、なんとかなるものだなという、妙な自信みたいなものも芽生えたような気がする(旅行会社の方には大変なお世話になっておきながら不謹慎ですが)。今回のことに懲りずに、近いうちにまたどこかに旅行に行ってみたいなぁ、と思っている。

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2007/08/28 (火)  日カメ戦にて

22日に行われたサッカー日本代表の国際試合、日本vsカメルーン戦を長男と2人で観に行った。間近でこんなビッグゲームを観戦できるとは本当に幸せなことだ。私が子どものころはW杯を競技場で観戦できるなんて夢物語だと思っていた世代なのだが、今の子ども達の感覚はどんなものだろうか。決して「当たり前」と思ってはならないし、感謝しないといけない。さて、下はそのときに競技場で配られた物の写真です。

これは扇子です。よくイベントなどで団扇が配られたりするが、このような扇子が配られるとはとてもセンスが良い(スミマセン。受け流していただいて結構です)。下は開いたところです。

長方形の厚紙の長辺の端を斜めに折ってるだけなのですが、見事にセンスの役割を果たしています。こんなちょっとしたアイデアで、なんだかもらって嬉しい物になるんですね。下は逆向きに開いた状態です。

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